『花子とアン』から考える、文学者の戦争協力について(2)

人はそれぞれの(政治・経済・思想的な背景、異なる属性などに影響を受けた)立ち位置によって、同一または関連の資料を根拠として提示しながらも、その人物をまったく違った存在として捉えてしまう可能性がある。この事は、自分が見たいものを見ようとする、人間の宿命的な傾向を示しているといえよう。また分析対象が内に矛盾を孕んだ状態にある時は、そうした傾向は一層顕著になると考えられる。従って研究として考えた場合、そうした偏りを可能な限り避ける為にも、やはりある特定の人の言説分析や作品研究を行う際には、まずはその人のライフヒストリーを多角的に吟味し、また全作品も読んだ上で、重層的かつ慎重な評価をおこなうことが必要となる。

その時に問題となるのは、およそ無限に存在する(または非常に限られた)資料の中から、どのくらい異なる属性の立場から発せられた多様な言説をすくい取ることが出来るのかという点、また無制限に資料にあたることは不可能なので、最大限の努力をした上で、どのような観点からそこに線引き(量的にも質的にも)をおこなっているのか、そしてそのことにどのくらい自覚的であり得るかという点、そして執筆時には視野に入っていなかった要因や新たな資料がそこに後から加えられる可能性をどのように考慮しまた実際に対応・評価しようとするのかという、ざっと考えて以上の3点が重要になってくると考えられる。

当然、人間は全能の存在ではないので、これはある種の理念形ではある。しかし不十分ながらそこをどのくらい目指していけるのか、それ自体が研究にとっても、またどのような文章の執筆にとっても重要なのではないか。それは当然ながら書く側だけでなく、読む側にも問われるリテラシーである。今後、村岡花子やゆかりの人達をめぐる様々な文章や企画などが、今回のドラマ化によって大幅に増えると考えられるが、それぞれの文章を読みかつ考えていく際には、この多様性のプロセスを踏まえているかどうかが、その文章の意義を判断する際の重要なポイントになるだろう。

例えば同じテーマでも、以下の記事(TWで引用したものを再掲)には、批判的な立場の人達とは明らかに異なるトーンで描かれた村岡花子像が載せられている。村岡花子について戦争協力という観点から批判的に書く人達の記事、文学・キリスト教・女性といった視点から共感的に書いている人達の記事や言説と共に、(その複数性や重層性を担保する為にも)こうした記事も資料として検討する際には当然含まれる必要があろう。この場合、社会主義や共産主義的な背景に共感する人達の視点がその中に含まれていることは言うまでもない。しかし、だからこそ当時様々な意味で政治的・社会的な圧力を受けた立場の人達の視点が活かされていると考えることも可能なのであり、ここにも多様な視点を維持することの重要性が垣間見られるのである。

“しんぶん赤旗 きょうの潮流 2014年4月15日(火) ” 「日中戦争のさなか、「子供の時間」は、「ラジオ少国民の時間」と改称…間もなく辞表を提出。「私の家の窓は閉じられた」と当時の心境を…花子はやがて大政翼賛会の活動へとのみ込まれていきました…」

“しんぶん赤旗 きょうの潮流 2014年5月19日(月) ” 「村岡花子は本の「解説」で、「著者モンゴメリ夫人の戦争に対する憤りや平和愛好の熱情を、私たちは読みとりたいのです」と書いて…第2次大戦を経験した自身の思いを大きく重ね合わせているようです」

こうした多角的な視点を無視した一方的な価値規範による断定や、その根拠や理由付けとしてある種の「心性」が持ち出されてくるような場合、その発想そのものが、むしろ全体主義的なものになりうるということを、ここであらかじめ指摘しておきたい。村岡花子と戦争協力の問題について考える場合、例えば市川房枝の戦中の行動がどのように再考されてきているかなどを参考にしながら、現代に生きる私たちが同じ轍を踏まないようにする為に、むしろそこから何を学ぶべきかを中心に考えることが重要であろう。

例えば『女たちの戦争責任』(東京堂出版)の編者の一人である渡邉澄子は、市川房枝の戦時協力の問題について研究した進藤久美子の著書『市川房枝と「大東亜戦争」』(法政大学出版局)についての書評を書いている(東京新聞、2014年4月27日  http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042702000179.html)。その中で渡邉は、市川は時局追随の戦争協力者とは違うと強調、重要なのは市川の生涯が残した教訓から何を学び、平和を維持するために今をどう生きなければならないかであると指摘している。

「女の人権を認めぬ家父長制度下にあって平等の人権意識から婦選達成に献身した市川は、男性たちは言うも更なり、与謝野晶子や長谷川時雨その他に見られる戦争謳歌(おうか)、軍部べったりが既に常態になっていた中で、非戦論、拡大阻止を毅然(きぜん)として唱え、中国女性との連携も模索していた。その彼女が国政に関与するようになったのは、もはや已(や)むを得ぬ事態と観念したとき、上意下達認容を潔しとせず、女性の力を主体的に発揮しようとした婦選魂が陥った陥穽(かんせい)だったように思われる。時局追随の戦争協力者とは違う。」

「敗戦の翌日直ちに政界トップに猛然とアタックして婦人参政権を閣議決定させたのはマッカーサー指令以前だった。公明選挙にも懸命に取り組んだ。だが現今、日本の女性国会議員の割合は約8%で、世界百八十九カ国の中で百二十七位。平等に程遠いばかりか選挙の汚さも相変わらずで、「戦後レジームからの脱却」を目指す政権は戦争のできる国へと驀進(ばくしん)している。この進路を阻止できなければ、同じ轍(てつ)を踏むことになってしまうだろう…本書は、市川の生涯が残した教訓から何を学び、平和を維持するために今をどう生きなければならないかを示した熱塊の書である。」

市川の場合、決して盲目的に時の権力に服従・追従したのではなく、「婦選は鍵なり」「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」の信念から闘い抜いて、婦選(婦人参政権)を実現させたのだとする渡邉の指摘は、多少の判官贔屓が見られると言えなくもない。また与謝野晶子らの評価等に付いては意見の分かれるところもあろう。しかしこうした再考の流れは、そのまま村岡花子の場合についても当てはめて考えられる部分があるのではないだろうか。

また1948年当時に書かれた、宮本百合子による「戦争と女性作家」も、また少し異なる角度からこの問題に関して多くの示唆を与えるものである。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2993_10103.html

「最近の十数年間に、日本の婦人作家はどんな戦争反対の活動をしたでしょうか。今日になってみると侵略戦争に反対したモチーフをもっている作品は、例外的にわずかで、吉屋信子、林芙美子そのほかほとんどすべての婦人作家が、むしろ戦争に協力した悲惨な事実が発見されます。しかしこれらの人すべてが侵略戦争を心から賛美していたとするのはあやまりです。ジャーナリズムの統制がきびしくなり軍御用の作家でなければ作品発表がゆるされなくなったとき、ブルジョア出版社の出版からの収入でそれぞれ「有名な婦人作家」として存在している人々は、自分のジャーナリズムの上の存在を保つためと、読者から名がわすれられないためにも、いつも華やかな場面につき出ようとしました。つまりきわめて安定のない婦人の経済的自主性を守りつづけてゆくために、彼女たちにとっても疑問が感じられたにちがいないファシスト的処世術にまけました。」

この深刻な文化上の婦人の能力の利用されかたと、薄弱な婦人の経済的独立の基礎を考えるとき婦人の作家たちが日本のすべての勤労する婦人の利害と、全く一つの事情におかれていることがわかります。婦人作家が日本人民としての自分が紡績工場に働いている娘たちの境遇にどんなにちかいものであるかということを知ったときにこそ、婦人作家はファシズムとはなんであるか、侵略戦争とはなんであるか、一つの国の人民の幸福を他の一国の利益のためにふみにじるとき、その血はすべてふみにじったものの上にかかるということを理解するでしょう。〔一九四八年六月〕

このように宮本は、きわめて不安定な当時の婦人の経済的自主性を守り続けようとする中で、全体主義的な社会の流れに疑問を感じながらも、それに次第に押し流されていった当時の女性作家達をめぐる状況について言及している。これは(1)において前述した村岡恵理や田辺聖子による指摘とも重なる部分であるとともに、近年繰り返し用いられるようになった「女性の活用」というフレーズをめぐる問題を彷彿とさせるものでもある。また経済的基盤の脆弱さということから考えれば、これは女性作家に限らず、多くの作家や研究者(任期付や非常勤、若手を含む)の現状にあてはまる問題でもあり、そうした意味で、当時戦争を賛美するような作品を書いた作家の状況と、現在の私たちをとりまく社会状況は相似形をなしているともいうことが出来るのではないだろうか。

(3、に続く)

PS. English version of this essay may follow later… hopefully.