『花子とアン』から考える、文学者の戦争協力について(3)

市川房枝が直面したものと同様の問題を、村岡花子が当時その活動に関わった日本基督教婦人矯風会(現在は、公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会)の功罪という視点から再考することも可能であろう。アメリカにおけるプロテスタント系のキリスト教福音主義に根ざした禁酒禁煙運動をルーツに持ち、公娼制度の廃止や婦人参政権運動などの活動をおこなってきた団体で、現在も女性や子供のシェルターの運営等の社会福祉活動を続けている。この日本で最初の婦人団体である日本基督教婦人矯風会(以下、矯風会)で、花子は大会の書記や雑誌の編集などの活動に関わっていた。

信仰の有無、また信仰と天皇制の関係をどのように捉えるかは、同じ文学者との連帯や共感といった関係性にさまざまな影響を与えていたと考えられる。例えば、市川房枝と村岡花子の出会いにはキリスト教が関わっていたとされるが、全ての女性作家や政治家達が、矯風会のような活動に全面的に賛同していた訳ではない。(2)で触れた与謝野晶子や宮本百合子などは、婦人運動による女性の権利の向上という点には共感しても、キリスト教的宗教道徳観に偏った処罰主義や、社会の底辺にいる人達が被っている貧困の構造的な問題や本質に疎いままおこなわれている慈善活動などについては批判的であった。

矯風会は、現在もそのホームページの中で「平和を唱えながらアジア太平洋戦争を阻止できなかったことへの反省」の旨を記している。これは、戦中の日本のキリスト教界が戦争協力をおこなったことと深い関わりがある。最終的には、平和を希求するキリスト教的精神の提供元であったはずの教会自体が、戦前には天皇制イデオロギー的な役割を演じ、また戦後にはいわゆる「戦後責任」への反省を必要とされるような活動をおこなった。このことは、積極的な社会活動をおこなうキリスト者であった村岡花子に、当然ながら様々な影を落とすこととなった。

その意味で、この状況を時に利用することで生き残りをはかり、それを啓蒙する活動や言説をおこなったと理解されれば、その点においては道義的責任は問われ得るかもしれない。実際、花子は矯風会での活動だけでなく、大日本婦人会での活動や、大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に参加したことにより、戦争に協力的な態度をとったとして後に批判されている。花子の活動が戦争協力の文脈から問題があると指摘されるのは、こうした活動時に残した発言や文章などを指してのことが多い。

しかしこれについても、彼女の発言や文章の背景や文脈も含めた、多面的で詳細な分析がおこなわれる必要があることは、(1)や(2)で示した田辺や宮本らの発言からもよくわかることである。こうした場合の分析の困難さは、ドイツのナチス政権下での戦争協力の問題や、ポル・ポト政権下での市民の活動や発言の研究などにも類似のものが多く見られる(例えば、時の政権の方針に反する発言や活動をおこなえば抹殺されるような状況下で残した言説を、文字通り、字義的・一面的にのみ分析することにどんな意味があるのだろうか?)。それでは、もし彼女がそれを文字通り「確信して」発言し文章化していたとした場合は、どのように考えたら良いか。

その場合も、やはり課題は残る。当時の日本社会と教会、それぞれの内部における女性の地位を向上させる為に、村岡花子のようなキリスト者であり女性文学者である人が、様々な講演会に駆り出され、当時の天皇制強化政策下における日本社会のナショナリズムや、それに迎合的な教会からの要望に沿った形での活動に邁進していったのは、それぞれの共同体の中での承認を求めるが故であり、そうした中でゆらぎをみせる(内村鑑三が言うところの)2つのJ(JapanとJesus)を曖昧に並立させ、愛国心や忠誠心の表現を強調することでしか、当時の難局を生き延びることは難しかったのではないか(例:主にカトリックによる「祖国に対する信者のつとめ」などは、その一例である)。

しかしその場合、それは花子個人の資質と言うよりは、その関連団体の超宗派的性質や大政翼賛的な流れが、公共宗教的な価値規範への親和性を喚起したことにも大きな要因があると考えられるのではないだろうか。そしてこの場合は、その活動が当然ながら当時の天皇制強化政策下における日本社会のナショナリズム的イデオロギーと不可分となる危険性を孕むものであった。それによって生じたのは、全体主義的性質を強めた公共宗教による、個人の信仰のある種の“乗っ取り”であった。つまり彼女の言説や作品は、戦前も戦後もそのような全体主義的思想を表出したものであったのかと問えば、それは決してそうではなかったと言えるのではないだろうか。

したがって、彼女の当時の活動についてその道義的責任を問うのであれば、同時に上記のような侵害された側面、また彼女の戦前から戦後にかけての(テキストに限らず時に生活に根ざした)反戦的言説についても等しく触れることがなければアンフェアだと言わざるを得ない。ましてそれまでの彼女の全ての作品が、こうした戦中のナショナリズムや全体主義的な思考のみを背景に持つものであると断定されるのは、不正確な認識に基づいた過剰な批判ではないだろうか。集団への帰属意識のすべてが、即、全体主義的思考とイコールである訳ではなく、それを例えば集団的無意識や何らかの「心性」的仮説に寄りかかった上で断定することは、一つの基準に基づいた過剰な包摂による排除に等しく、むしろそれこそが全体主義的な考え方といえるのである。

それでは現代に生きる私たちは、こうした先人達の経験から何を学び、かつ実践することが出来るのであろうか。このような文脈から文学者の戦争協力について考える時、私が思い出すのは、今年2月になくなった、「ぞうさん」などで知られる詩人のまどみちおさんのことである。まどさんは、太平洋戦争中に書いた戦争協力詩二篇を、自らの集大成となる全詩集に収録させた。そしてその詩集のあとがきには、自らの非力を嘆き懺悔に満ちた言葉を並べた。まどさんの自己批判をめぐっては、様々な立場からの指摘があるが、その経緯は以下の記事に詳細が載っている。

まどさん 新たな戦争詩 1942年の作品、中島利郎教授が発見(2010年11月6日朝日新聞)  

この記事にも描写されているように、戦争詩を書いた詩人のほとんどは戦後、作品を闇に葬り、口を閉ざしたといわれる。そうした中、自らの弱さに向き合い、過去を赤裸々に表出しようとしたまどさんの姿勢は突出していた。重要なのは「問題は戦争詩を書いたか書かないかではなく、書いたことを隠したり弁解したりして反省がない点」であり、また「命の尊さを表現する自分がなぜ戦争詩を書いたのか。100歳の詩人はおそらく今も後悔しつづけている。まどさんが危惧(きぐ)するような時代がもし再び訪れたとき、どうするのか。68年ぶりに日の目を見た戦争詩「妻」は、詩人に限らず、すべての表現者に、重い問いを投げかけている。(白石明彦)」という、記者による最後の記述の中に、現代において私たちが引き続き考えるべき問題提起がなされているのではないだろうか。

その問いへの回答をどのように見つけていけば良いのか。戦時中に多くの詩人が戦争詩を書いたような状況の中で、それに同調してしまった人々について、例えばアーレントが指摘するような「悪の凡庸(陳腐)さ」という概念から考察していく事も可能であろう。アイヒマンのように自らを直視する事から永遠に顔を背け続けた人もいる。一方であらゆるリスクを背負って反対し続けた人達、またまどさんのように過去に慚愧の念を抱いたまま創作活動を続け自己に向き合った人もいる。重要なのは、その人達の単発の言説や作品を点としてみるのではなく、ライフヒストリーや言説、作品制作のプロセス全体を検討した上で、その一個人がアーレントが指摘するような問題に遭遇した際に、どうしてそのような選択を(時に積極的に・時に消極的に)したのかについて、重層的な分析を試みる事である。その際に不明な点について、何らかの恣意的なラベルを貼って中身の分析を放棄することは厳に慎まなくてはならない。なぜならそれによって問題の所在が不明確になり、場合によってはその詳細を分析することで明らかになるような事実の隠蔽に手を貸すことにつながってしまうからである。

アーレントが指摘したような、思考を放棄し組織や社会の歯車になり、その結果巨悪に加担するというような事が、ごく普通に生きている(と思っている)人々によってなぜ引き起こされるのか、その答えは、実のところそうした丹念な検証の中からしか見いだせない。その際、複数性を排除したまま真理を求めれば、善悪を問わずそれは非人間的なものとなり得る。そこに生じるのは奇妙な同調に満ちた非現実性であり、その道こそがむしろ全体主義的な思考に続いていくのである。現代の研究者には、それに警鐘を鳴らし続ける役割が求められているが、その際、研究の内なる世界に存在する、そのような悪の凡庸(陳腐)さからも目をそらすことが許されないのは言うまでもない。またそこで曖昧な「心性」というような概念を当てはめて説明に事足りるとすることも不適切であろう。ここでも必要とされるのは、複数性や重層的な分析を試みる為の思考を放棄しない事であり、その意味でこの問題は、実は極めて今日的な問題を内包しているのである。

私自身は「心性」というものは、ある条件下で規定され創出された、ある種の「幻想」であると考えている。それは多様性を不可視化し、複数性を排除した上で成立する“仮想の真理”でしかない。なぜならそこには、それを持ち出してある価値規範の根拠としようとする人が自ら持つポリティクスやエコノミーが、不可視化された形で必ず関わっているからだ。しかもこの「心性」を持ち出してくる際、自らの思考の純正さを何ら疑っていないことが多いという点において、実はその人はアーレントと同じ間違いを犯しているのである。

また、全く異なる複数の事象について、それがつながるとされる根拠が「心性」によるものとされる場合、そこには執筆者の主観による論旨の飛躍が関与している可能性が高い。そうした仮説的概念を取り出してあてはめてみるのもよいだろうが、そこは様々なポリティクスとエコノミーが錯綜する言説のアリーナであり、ほぼ常に何らかの暴力性が潜んでいることを忘れてはならない。そのような理由で内面的なものまで一方的に決めつけられたとしたら…その不可視化され排除された側の当事者や家族は、あらたに二重三重の被害を被ることになるのではないか。すべからく研究に関わる人達、また文章を執筆することに関わる人達は、こうした影響力の大きさとそれが生み出す弊害の可能性を直視することこそが、このきわめて今日的な問題を内包した重いテーマに真摯に取り組むことにつながるのである。

PS. English version of this essay may follow later… hopefully.