日本老年社会科学会第60回大会

日本老年社会科学会第60回大会(2018年6月9日(土)~ 10日(日))のシンポジウム1に登壇することとなりました。公式サイトは以下の通りです。詳細がわかり次第、またお知らせします。

I am going to participate in the 60th Annual Meeting of the Japan Socio-Gerontological Society as a panelist. I will give you further information later.

 

日本老年社会科学会第60回大会(http://rounenshakai.org

日 時:2018年6月9日(土)~ 10日(日)

会 場:日本教育会館(〒101-0003 東京都千代田区一ツ橋2-6-2)

テーマ:老年学と死生学をつなぐ

大会長:長田久雄(桜美林大学大学院老年学研究科教授)

シンポジウム1「老年期のQuality of Death を考える」

 

 

TEDxFulbright Tokyo

TEDに登壇することになりました。

I am going to participate in the TED talks as a speaker.

 

TEDxFulbright Tokyo:

http://tedxfulbrighttokyo.weebly.com

https://www.facebook.com/TEDxFulbrightTokyo/

 

『花子とアン』にみる女性と社会運動ー春駒と百蓮の出会いから

今回は今までの内容に関連しつつ、少し番外編的な記事を…。いろいろ報道されている情報からは、いよいよ檀蜜さんが19日放送分からの『花子とアン』に登場する模様です。ドラマ自体は実質フィクションと思って割り切って観ているのですが、史実では彼女が演じる女性にはモデルとなる人物がいて、それが実は私自身の研究とも重なる部分があって興味関心のあるところなのです。

演じる檀蜜さん(エロスとタナトスを併せ持った芸名ですよね、死生学的に考えてもスゴイ名前だなあと感心しています…タレントさんとしてもとても頭のいい独特の個性を持った方だと思いながらいつも拝見しています)は元々日舞の名取で、きものの所作も問題ないはずですし、どのように演じてくれるのか楽しみです。 

壇蜜、朝ドラ『花子とアン』に出演 –

ここで、檀蜜さんの役(娼妓春駒、本名森光子がモデルと考えられる。女優の森光子さんとは同姓同名ですがもちろん別人です)を理解する上での参考文献を、いくつかご紹介します。実はこれらの資料は、博論の出版後、次にまとめる予定の本の参考文献資料として手元にあったものです。

参考文献その1。紀田順一郎の著書『東京の下層社会 』(ちくま学芸文庫) の中に、春駒が登場するエピソードが記載されています。そして春駒と、歌人であり社会・女性運動家として活躍していた百蓮との接点が。当時のアジールな世界の描写が秀逸です。

参考文献その2、その3。春駒がまとめた日記『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』と続編『春駒日記 吉原花魁の日々』が、それぞれ朝日文庫から2010年に出ています。実はここにも百蓮との関わりがありますが、これがドラマでどのように描かれるかに注目しています。

前述の紀田の著書にも詳しく描かれている、日本における近代公娼制度の動向が、檀蜜さん登場の回の背景にありますが、女性の職業が制限されていた当時、女工や女給や女郎は、ある意味で同じ問題の表裏のような存在でした。花子の二人の妹かよともも、檀蜜さん演じる女性、そこに皇室にゆかりの出自を持つ百蓮と、ある意味で当時の社会的階層を数段飛ばしで駆け上がったような経験をした花子が、それぞれドラマの中で対比して描かれることになるでしょう。

こう考えると、今週の内容は8月15日のBlog記事に記した宮本百合子の言葉(「婦人作家が日本人民としての自分が紡績工場に働いている娘たちの境遇にどんなにちかいものであるかということを知ったときにこそ、婦人作家はファシズムとはなんであるか…理解するでしょう」)を想起させるところがあります。それぞれの立場を超えて、女性達は連帯と共感を結ぶことが出来るのか。今週は当時の女性の実情を(その差異と相似を含め)多層的に描く週となるのではないかと期待しています。

 

 

『花子とアン』から考える、文学者の戦争協力について(3)

市川房枝が直面したものと同様の問題を、村岡花子が当時その活動に関わった日本基督教婦人矯風会(現在は、公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会)の功罪という視点から再考することも可能であろう。アメリカにおけるプロテスタント系のキリスト教福音主義に根ざした禁酒禁煙運動をルーツに持ち、公娼制度の廃止や婦人参政権運動などの活動をおこなってきた団体で、現在も女性や子供のシェルターの運営等の社会福祉活動を続けている。この日本で最初の婦人団体である日本基督教婦人矯風会(以下、矯風会)で、花子は大会の書記や雑誌の編集などの活動に関わっていた。

信仰の有無、また信仰と天皇制の関係をどのように捉えるかは、同じ文学者との連帯や共感といった関係性にさまざまな影響を与えていたと考えられる。例えば、市川房枝と村岡花子の出会いにはキリスト教が関わっていたとされるが、全ての女性作家や政治家達が、矯風会のような活動に全面的に賛同していた訳ではない。(2)で触れた与謝野晶子や宮本百合子などは、婦人運動による女性の権利の向上という点には共感しても、キリスト教的宗教道徳観に偏った処罰主義や、社会の底辺にいる人達が被っている貧困の構造的な問題や本質に疎いままおこなわれている慈善活動などについては批判的であった。

矯風会は、現在もそのホームページの中で「平和を唱えながらアジア太平洋戦争を阻止できなかったことへの反省」の旨を記している。これは、戦中の日本のキリスト教界が戦争協力をおこなったことと深い関わりがある。最終的には、平和を希求するキリスト教的精神の提供元であったはずの教会自体が、戦前には天皇制イデオロギー的な役割を演じ、また戦後にはいわゆる「戦後責任」への反省を必要とされるような活動をおこなった。このことは、積極的な社会活動をおこなうキリスト者であった村岡花子に、当然ながら様々な影を落とすこととなった。

その意味で、この状況を時に利用することで生き残りをはかり、それを啓蒙する活動や言説をおこなったと理解されれば、その点においては道義的責任は問われ得るかもしれない。実際、花子は矯風会での活動だけでなく、大日本婦人会での活動や、大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に参加したことにより、戦争に協力的な態度をとったとして後に批判されている。花子の活動が戦争協力の文脈から問題があると指摘されるのは、こうした活動時に残した発言や文章などを指してのことが多い。

しかしこれについても、彼女の発言や文章の背景や文脈も含めた、多面的で詳細な分析がおこなわれる必要があることは、(1)や(2)で示した田辺や宮本らの発言からもよくわかることである。こうした場合の分析の困難さは、ドイツのナチス政権下での戦争協力の問題や、ポル・ポト政権下での市民の活動や発言の研究などにも類似のものが多く見られる(例えば、時の政権の方針に反する発言や活動をおこなえば抹殺されるような状況下で残した言説を、文字通り、字義的・一面的にのみ分析することにどんな意味があるのだろうか?)。それでは、もし彼女がそれを文字通り「確信して」発言し文章化していたとした場合は、どのように考えたら良いか。

その場合も、やはり課題は残る。当時の日本社会と教会、それぞれの内部における女性の地位を向上させる為に、村岡花子のようなキリスト者であり女性文学者である人が、様々な講演会に駆り出され、当時の天皇制強化政策下における日本社会のナショナリズムや、それに迎合的な教会からの要望に沿った形での活動に邁進していったのは、それぞれの共同体の中での承認を求めるが故であり、そうした中でゆらぎをみせる(内村鑑三が言うところの)2つのJ(JapanとJesus)を曖昧に並立させ、愛国心や忠誠心の表現を強調することでしか、当時の難局を生き延びることは難しかったのではないか(例:主にカトリックによる「祖国に対する信者のつとめ」などは、その一例である)。

しかしその場合、それは花子個人の資質と言うよりは、その関連団体の超宗派的性質や大政翼賛的な流れが、公共宗教的な価値規範への親和性を喚起したことにも大きな要因があると考えられるのではないだろうか。そしてこの場合は、その活動が当然ながら当時の天皇制強化政策下における日本社会のナショナリズム的イデオロギーと不可分となる危険性を孕むものであった。それによって生じたのは、全体主義的性質を強めた公共宗教による、個人の信仰のある種の“乗っ取り”であった。つまり彼女の言説や作品は、戦前も戦後もそのような全体主義的思想を表出したものであったのかと問えば、それは決してそうではなかったと言えるのではないだろうか。

したがって、彼女の当時の活動についてその道義的責任を問うのであれば、同時に上記のような侵害された側面、また彼女の戦前から戦後にかけての(テキストに限らず時に生活に根ざした)反戦的言説についても等しく触れることがなければアンフェアだと言わざるを得ない。ましてそれまでの彼女の全ての作品が、こうした戦中のナショナリズムや全体主義的な思考のみを背景に持つものであると断定されるのは、不正確な認識に基づいた過剰な批判ではないだろうか。集団への帰属意識のすべてが、即、全体主義的思考とイコールである訳ではなく、それを例えば集団的無意識や何らかの「心性」的仮説に寄りかかった上で断定することは、一つの基準に基づいた過剰な包摂による排除に等しく、むしろそれこそが全体主義的な考え方といえるのである。

それでは現代に生きる私たちは、こうした先人達の経験から何を学び、かつ実践することが出来るのであろうか。このような文脈から文学者の戦争協力について考える時、私が思い出すのは、今年2月になくなった、「ぞうさん」などで知られる詩人のまどみちおさんのことである。まどさんは、太平洋戦争中に書いた戦争協力詩二篇を、自らの集大成となる全詩集に収録させた。そしてその詩集のあとがきには、自らの非力を嘆き懺悔に満ちた言葉を並べた。まどさんの自己批判をめぐっては、様々な立場からの指摘があるが、その経緯は以下の記事に詳細が載っている。

まどさん 新たな戦争詩 1942年の作品、中島利郎教授が発見(2010年11月6日朝日新聞)  

この記事にも描写されているように、戦争詩を書いた詩人のほとんどは戦後、作品を闇に葬り、口を閉ざしたといわれる。そうした中、自らの弱さに向き合い、過去を赤裸々に表出しようとしたまどさんの姿勢は突出していた。重要なのは「問題は戦争詩を書いたか書かないかではなく、書いたことを隠したり弁解したりして反省がない点」であり、また「命の尊さを表現する自分がなぜ戦争詩を書いたのか。100歳の詩人はおそらく今も後悔しつづけている。まどさんが危惧(きぐ)するような時代がもし再び訪れたとき、どうするのか。68年ぶりに日の目を見た戦争詩「妻」は、詩人に限らず、すべての表現者に、重い問いを投げかけている。(白石明彦)」という、記者による最後の記述の中に、現代において私たちが引き続き考えるべき問題提起がなされているのではないだろうか。

その問いへの回答をどのように見つけていけば良いのか。戦時中に多くの詩人が戦争詩を書いたような状況の中で、それに同調してしまった人々について、例えばアーレントが指摘するような「悪の凡庸(陳腐)さ」という概念から考察していく事も可能であろう。アイヒマンのように自らを直視する事から永遠に顔を背け続けた人もいる。一方であらゆるリスクを背負って反対し続けた人達、またまどさんのように過去に慚愧の念を抱いたまま創作活動を続け自己に向き合った人もいる。重要なのは、その人達の単発の言説や作品を点としてみるのではなく、ライフヒストリーや言説、作品制作のプロセス全体を検討した上で、その一個人がアーレントが指摘するような問題に遭遇した際に、どうしてそのような選択を(時に積極的に・時に消極的に)したのかについて、重層的な分析を試みる事である。その際に不明な点について、何らかの恣意的なラベルを貼って中身の分析を放棄することは厳に慎まなくてはならない。なぜならそれによって問題の所在が不明確になり、場合によってはその詳細を分析することで明らかになるような事実の隠蔽に手を貸すことにつながってしまうからである。

アーレントが指摘したような、思考を放棄し組織や社会の歯車になり、その結果巨悪に加担するというような事が、ごく普通に生きている(と思っている)人々によってなぜ引き起こされるのか、その答えは、実のところそうした丹念な検証の中からしか見いだせない。その際、複数性を排除したまま真理を求めれば、善悪を問わずそれは非人間的なものとなり得る。そこに生じるのは奇妙な同調に満ちた非現実性であり、その道こそがむしろ全体主義的な思考に続いていくのである。現代の研究者には、それに警鐘を鳴らし続ける役割が求められているが、その際、研究の内なる世界に存在する、そのような悪の凡庸(陳腐)さからも目をそらすことが許されないのは言うまでもない。またそこで曖昧な「心性」というような概念を当てはめて説明に事足りるとすることも不適切であろう。ここでも必要とされるのは、複数性や重層的な分析を試みる為の思考を放棄しない事であり、その意味でこの問題は、実は極めて今日的な問題を内包しているのである。

私自身は「心性」というものは、ある条件下で規定され創出された、ある種の「幻想」であると考えている。それは多様性を不可視化し、複数性を排除した上で成立する“仮想の真理”でしかない。なぜならそこには、それを持ち出してある価値規範の根拠としようとする人が自ら持つポリティクスやエコノミーが、不可視化された形で必ず関わっているからだ。しかもこの「心性」を持ち出してくる際、自らの思考の純正さを何ら疑っていないことが多いという点において、実はその人はアーレントと同じ間違いを犯しているのである。

また、全く異なる複数の事象について、それがつながるとされる根拠が「心性」によるものとされる場合、そこには執筆者の主観による論旨の飛躍が関与している可能性が高い。そうした仮説的概念を取り出してあてはめてみるのもよいだろうが、そこは様々なポリティクスとエコノミーが錯綜する言説のアリーナであり、ほぼ常に何らかの暴力性が潜んでいることを忘れてはならない。そのような理由で内面的なものまで一方的に決めつけられたとしたら…その不可視化され排除された側の当事者や家族は、あらたに二重三重の被害を被ることになるのではないか。すべからく研究に関わる人達、また文章を執筆することに関わる人達は、こうした影響力の大きさとそれが生み出す弊害の可能性を直視することこそが、このきわめて今日的な問題を内包した重いテーマに真摯に取り組むことにつながるのである。

PS. English version of this essay may follow later… hopefully.

 

 

 

『花子とアン』から考える、文学者の戦争協力について(2)

人はそれぞれの(政治・経済・思想的な背景、異なる属性などに影響を受けた)立ち位置によって、同一または関連の資料を根拠として提示しながらも、その人物をまったく違った存在として捉えてしまう可能性がある。この事は、自分が見たいものを見ようとする、人間の宿命的な傾向を示しているといえよう。また分析対象が内に矛盾を孕んだ状態にある時は、そうした傾向は一層顕著になると考えられる。従って研究として考えた場合、そうした偏りを可能な限り避ける為にも、やはりある特定の人の言説分析や作品研究を行う際には、まずはその人のライフヒストリーを多角的に吟味し、また全作品も読んだ上で、重層的かつ慎重な評価をおこなうことが必要となる。

その時に問題となるのは、およそ無限に存在する(または非常に限られた)資料の中から、どのくらい異なる属性の立場から発せられた多様な言説をすくい取ることが出来るのかという点、また無制限に資料にあたることは不可能なので、最大限の努力をした上で、どのような観点からそこに線引き(量的にも質的にも)をおこなっているのか、そしてそのことにどのくらい自覚的であり得るかという点、そして執筆時には視野に入っていなかった要因や新たな資料がそこに後から加えられる可能性をどのように考慮しまた実際に対応・評価しようとするのかという、ざっと考えて以上の3点が重要になってくると考えられる。

当然、人間は全能の存在ではないので、これはある種の理念形ではある。しかし不十分ながらそこをどのくらい目指していけるのか、それ自体が研究にとっても、またどのような文章の執筆にとっても重要なのではないか。それは当然ながら書く側だけでなく、読む側にも問われるリテラシーである。今後、村岡花子やゆかりの人達をめぐる様々な文章や企画などが、今回のドラマ化によって大幅に増えると考えられるが、それぞれの文章を読みかつ考えていく際には、この多様性のプロセスを踏まえているかどうかが、その文章の意義を判断する際の重要なポイントになるだろう。

例えば同じテーマでも、以下の記事(TWで引用したものを再掲)には、批判的な立場の人達とは明らかに異なるトーンで描かれた村岡花子像が載せられている。村岡花子について戦争協力という観点から批判的に書く人達の記事、文学・キリスト教・女性といった視点から共感的に書いている人達の記事や言説と共に、(その複数性や重層性を担保する為にも)こうした記事も資料として検討する際には当然含まれる必要があろう。この場合、社会主義や共産主義的な背景に共感する人達の視点がその中に含まれていることは言うまでもない。しかし、だからこそ当時様々な意味で政治的・社会的な圧力を受けた立場の人達の視点が活かされていると考えることも可能なのであり、ここにも多様な視点を維持することの重要性が垣間見られるのである。

“しんぶん赤旗 きょうの潮流 2014年4月15日(火) ” 「日中戦争のさなか、「子供の時間」は、「ラジオ少国民の時間」と改称…間もなく辞表を提出。「私の家の窓は閉じられた」と当時の心境を…花子はやがて大政翼賛会の活動へとのみ込まれていきました…」

“しんぶん赤旗 きょうの潮流 2014年5月19日(月) ” 「村岡花子は本の「解説」で、「著者モンゴメリ夫人の戦争に対する憤りや平和愛好の熱情を、私たちは読みとりたいのです」と書いて…第2次大戦を経験した自身の思いを大きく重ね合わせているようです」

こうした多角的な視点を無視した一方的な価値規範による断定や、その根拠や理由付けとしてある種の「心性」が持ち出されてくるような場合、その発想そのものが、むしろ全体主義的なものになりうるということを、ここであらかじめ指摘しておきたい。村岡花子と戦争協力の問題について考える場合、例えば市川房枝の戦中の行動がどのように再考されてきているかなどを参考にしながら、現代に生きる私たちが同じ轍を踏まないようにする為に、むしろそこから何を学ぶべきかを中心に考えることが重要であろう。

例えば『女たちの戦争責任』(東京堂出版)の編者の一人である渡邉澄子は、市川房枝の戦時協力の問題について研究した進藤久美子の著書『市川房枝と「大東亜戦争」』(法政大学出版局)についての書評を書いている(東京新聞、2014年4月27日  http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042702000179.html)。その中で渡邉は、市川は時局追随の戦争協力者とは違うと強調、重要なのは市川の生涯が残した教訓から何を学び、平和を維持するために今をどう生きなければならないかであると指摘している。

「女の人権を認めぬ家父長制度下にあって平等の人権意識から婦選達成に献身した市川は、男性たちは言うも更なり、与謝野晶子や長谷川時雨その他に見られる戦争謳歌(おうか)、軍部べったりが既に常態になっていた中で、非戦論、拡大阻止を毅然(きぜん)として唱え、中国女性との連携も模索していた。その彼女が国政に関与するようになったのは、もはや已(や)むを得ぬ事態と観念したとき、上意下達認容を潔しとせず、女性の力を主体的に発揮しようとした婦選魂が陥った陥穽(かんせい)だったように思われる。時局追随の戦争協力者とは違う。」

「敗戦の翌日直ちに政界トップに猛然とアタックして婦人参政権を閣議決定させたのはマッカーサー指令以前だった。公明選挙にも懸命に取り組んだ。だが現今、日本の女性国会議員の割合は約8%で、世界百八十九カ国の中で百二十七位。平等に程遠いばかりか選挙の汚さも相変わらずで、「戦後レジームからの脱却」を目指す政権は戦争のできる国へと驀進(ばくしん)している。この進路を阻止できなければ、同じ轍(てつ)を踏むことになってしまうだろう…本書は、市川の生涯が残した教訓から何を学び、平和を維持するために今をどう生きなければならないかを示した熱塊の書である。」

市川の場合、決して盲目的に時の権力に服従・追従したのではなく、「婦選は鍵なり」「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」の信念から闘い抜いて、婦選(婦人参政権)を実現させたのだとする渡邉の指摘は、多少の判官贔屓が見られると言えなくもない。また与謝野晶子らの評価等に付いては意見の分かれるところもあろう。しかしこうした再考の流れは、そのまま村岡花子の場合についても当てはめて考えられる部分があるのではないだろうか。

また1948年当時に書かれた、宮本百合子による「戦争と女性作家」も、また少し異なる角度からこの問題に関して多くの示唆を与えるものである。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2993_10103.html

「最近の十数年間に、日本の婦人作家はどんな戦争反対の活動をしたでしょうか。今日になってみると侵略戦争に反対したモチーフをもっている作品は、例外的にわずかで、吉屋信子、林芙美子そのほかほとんどすべての婦人作家が、むしろ戦争に協力した悲惨な事実が発見されます。しかしこれらの人すべてが侵略戦争を心から賛美していたとするのはあやまりです。ジャーナリズムの統制がきびしくなり軍御用の作家でなければ作品発表がゆるされなくなったとき、ブルジョア出版社の出版からの収入でそれぞれ「有名な婦人作家」として存在している人々は、自分のジャーナリズムの上の存在を保つためと、読者から名がわすれられないためにも、いつも華やかな場面につき出ようとしました。つまりきわめて安定のない婦人の経済的自主性を守りつづけてゆくために、彼女たちにとっても疑問が感じられたにちがいないファシスト的処世術にまけました。」

この深刻な文化上の婦人の能力の利用されかたと、薄弱な婦人の経済的独立の基礎を考えるとき婦人の作家たちが日本のすべての勤労する婦人の利害と、全く一つの事情におかれていることがわかります。婦人作家が日本人民としての自分が紡績工場に働いている娘たちの境遇にどんなにちかいものであるかということを知ったときにこそ、婦人作家はファシズムとはなんであるか、侵略戦争とはなんであるか、一つの国の人民の幸福を他の一国の利益のためにふみにじるとき、その血はすべてふみにじったものの上にかかるということを理解するでしょう。〔一九四八年六月〕

このように宮本は、きわめて不安定な当時の婦人の経済的自主性を守り続けようとする中で、全体主義的な社会の流れに疑問を感じながらも、それに次第に押し流されていった当時の女性作家達をめぐる状況について言及している。これは(1)において前述した村岡恵理や田辺聖子による指摘とも重なる部分であるとともに、近年繰り返し用いられるようになった「女性の活用」というフレーズをめぐる問題を彷彿とさせるものでもある。また経済的基盤の脆弱さということから考えれば、これは女性作家に限らず、多くの作家や研究者(任期付や非常勤、若手を含む)の現状にあてはまる問題でもあり、そうした意味で、当時戦争を賛美するような作品を書いた作家の状況と、現在の私たちをとりまく社会状況は相似形をなしているともいうことが出来るのではないだろうか。

(3、に続く)

PS. English version of this essay may follow later… hopefully.

 

エッセイ「不思議の国のスピリチュアルケア(1〜3)」について About my 3 essays of Spiritual care and Death-and-Life Studies.

2008年10月から2009年1月まで、『春秋』において3回にわたって連載したエッセイ(「不思議の国のスピリチュアルケア(1) 魂のケアのゆくえ」、「不思議の国のスピリチュアルケア(2) 死生学研究のいま・これから」、「不思議の国のスピリチュアルケア(3) 医療と宗教のあいだ」)についてですが、これまで色々な方々からどうやったらこのエッセイの文章を読めるのかというお問い合わせを頂いています。これは私自身の研究に関連したテーマで、より一般向けに書いてほしいという春秋社の編集者さんからのお声がけがきっかけで執筆したものです。初めて論文以外に一般向けのエッセイを書きましたので、色々とつたない部分も多いかと思いますが、今まで読んでくださった様々な方々からご感想を頂き、そこで頂いたフィードバックがまた私自身の研究や考察に影響を与えて…という、そうした交流が生まれたという意味で様々な思い出のある文章です。

お問い合わせに関してですが、ホームページの「ホーム」のところの「書籍紹介」内をスクロールして頂きますと、『春秋』の表紙が3つ出てきます。そこからクリックして入って頂きますと、CiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ]:論文や図書・雑誌などの学術情報で検索できるデータベース・サービス)からの検索情報をそれぞれ確認する事が出来ますので、大学図書館などからアクセスして取り寄せる事に慣れている方々は、こちらから検索して読む事が出来ると思います。問題は普段そうしたアクセスに慣れていない方がどう取り寄せるかということになりますが、実は春秋社の以下のホームページにアクセスしていただきますと『春秋』の定期購読とともに、今までのバックナンバーを取り寄せる事が出来ます。

春秋社:http://www.shunjusha.co.jp/magazine/560/

ただ記載されているものが2011年1月号までとなっており、私が執筆した回はそれよりも前ですので、バックナンバーの在庫が既にない可能性が高く、そうしたこともあり「書籍紹介」からはこちらの春秋社さんのホームページではなく、CiNiiの方にアクセスするようにしました。ですが今まで色々とお問い合わせ(こちらのホームページで読めるように直接掲載してもらえないか、または私のエッセイの箇所だけもpdfでダウンロード出来るようにならないか等)を頂きましたので、それを合わせて春秋社の編集者の方に著作権その他の確認をした上で、どのようにするかこちらのホームページで後日あらためてご報告させて頂きます。

今までお問い合わせいただいた方々について。死生学やスピリチュアルケアに関心のある研究者や実践に関わっておられる方々からももちろんですが、実際のところ前述のような方向性で書いたエッセイということもあり、他の論文等に比べると、実はそれ以外の一般の方や学生さん達からの問い合わせも多いのが特徴です。例えば先日私に直接コピーが欲しいと問い合わせてくれた友人は、お子さんの夏休みの宿題(いのちの教育関連)の参考資料に使いたいというのがその理由でした。また最近ご家族を亡くされたある方からは、死生の問題に興味が出てきたので読みたいのですが…とご連絡を頂きました。私自身も予想外な方からのメールでの問い合わせ等もあり驚いた事もありましたが、いずれにしても私のつたない文章が、何らかの形でお役に立てるようであれば大変光栄な事です。

その上で…実は研究者としての私は、こうして読んで頂いた方々からのフィードバックを受けた上で、最終的にはここを起点に自分自身の中で生じてきた新たな疑問が、その後の博士論文執筆の際に次の段階につながる重要な契機となった面があり、そういった意味でもこのエッセイの執筆は感慨深いものとなりました(その博論を元にした単著は、順調にいけば今年度中には出版の運びとなりそうですので、またご感想等頂けましたら幸いです)。現在もこの3つのエッセイは、死生学関連の講義やゼミを受講している学生さんからの要望を受けて教材の一部資料として使ったりしていますが、学生さん達が講義後、友達に読ませたいからコピーを取っていいかと聞きにきたりすることもあります。私の子供の頃の体験や留学時のエピソード等も入れて、基本的には肩の凝らない文章になっていますので、まずは気軽に楽しんで読んで頂けましたら大変嬉しいです。

Summary in English: About my 3 essays of Spiritual care and Death-and-Life Studies in Japanese (Title: Spiritual care in Wonderland), explaining how to access to them as they are not available on-line at present. English version of these essays may follow later on my hope page… hopefully.

 

『花子とアン』から考える、文学者の戦争協力について(1)

先日、ある研究の大先輩にあたる先生よりツイッターで、私が『赤毛のアン』の訳者にまつわる朝ドラ(朝の連続テレビ小説)を熱烈に応援していて、とても羨ましいといったお声がけを頂いた。その方は故あって『赤毛のアン』をあまり読む機会がなかったとのことで、おそらくそうしたつながりがないままドラマをごらんになっており、その為、毎回ドラマに関連してタイムラインをお騒がせしている私のツイートをみて、半ば苦笑いしながら、広い目と寛大な心でそのように感じてくださったのだと推察している。しかし実のところ私は現在、この朝ドラを「熱烈に応援」というのとは少し違う気持ちを抱きながら視聴しているところなのだが、今回はこれに関連して今までツイートしたものもまとめながら、私なりの考えをまとめて初ブログ記事としたい。

今期放映中の朝の連続テレビ小説『花子とアン』は、モンゴメリ原作の『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子さんの半生を描いたものではあるが、NHKの朝ドラの冒頭では村岡花子さんのお孫さんである村岡恵理さんの著書『アンのゆりかご』が「原案」と表示されている。この事からもわかるように、当時の社会情勢や大きな事件(関東大震災や白蓮事件など。今後は戦時中の様子が描かれいくものと予想される)などが描かれてはいるものの、『アンのゆりかご』からはかなりかけ離れたストーリーになっているだけでなく、歴史的な事実に対してもかなりフィクションを交えた描写となっており、このところの朝ドラ人気で視聴率は高いものの、こうした脚本については賛否両論が聞かれるようである。

こうした経緯もあり、私自身は既に、登場人物の名前やセッティングを借りただけの、ほぼ完全フィクションとしてドラマ自体は視聴しているのであるが、事実とどのように違っているのか等、その描かれ方について研究の文脈からの興味があり、実はそれが熱心に観ている一番の理由と言ってよいかもしれない。これは私に限らず、明治・大正・昭和史の研究者や、日本の宗教史の研究者、キリスト教系文学者の研究をしている方達、英米文学研究者または作品に強い関心を持っている方々等、おそらく大勢の人達がそれぞれの視点で観ていらっしゃるのではないかと推察している。中でも熱烈な赤毛のアンのファンは日本にも沢山いらっしゃるので、こうした方々の期待は、ドラマが始まる前から色々なところで耳にしていた。

実は私の友人の中に、筋金入りのアン・マニアがいた。彼女はアンに出会い、アンをめぐる物語の大ファンになったのがきっかけで原作を英語で全て読破、後にそのままカナダに留学・移住してしまった。このようにアンのストーリーがかくも大きな影響力を持ち、実際にある一人の人間の人生を変えてしまった現実を目の当たりにしていたので、それでは私の立ち位置は…と考えてみると、アンのファンですとは簡単に言えない気持ちをずっと持っていた。さらに知人によれば私の場合、通常日本の子供達が村岡訳などを通じてアンのシリーズと出会うパターンとは少し異なる様でもあった。当時お世話になっていた先生の影響で、私はアンの本とは原書から入るという出会い方をしており、村岡訳を読んだのはその後という順番になった。したがって村岡さんの日本語をじっくり味わう事が出来たのは、実際は大人になってからということになる。

私の研究上の関心は、大きく分けて以下の2点である。1つ目は、日本という国家・共同体の中で少数派またはより弱いとされる属性を持つ主人公(例:女性、社会主義者、キリスト教者、地方出身者、富裕層ではない環境の中から給費生として苦労して女学校で教育を受けた等)やその周辺が、NHKドラマという“公共”の枠組みの中でどのように描かれるのかという事。2つ目はモデルとなった村岡花子さんの戦時中の戦争協力をめぐる論争が、ドラマではどのように描かれる・描かれないか、という事であった。1つ目については、(おそらく脚本家らによる一定の、または外側からの何らかの?意図のもとに)描かれ方のアクセントに違いが見られるように感じているが、これについてはいつか別稿に研究論文の一環としてまとめられたらと考えている。2についてもその点は同様であるが、もうすぐ原爆忌や終戦記念日がやってくる時期でもあり、また様々なところで色々な立場の人達が寄稿したりツイートしたりしているのを見かけるので、ここでひとまず自分の考えをブログに整理して書いておきたい。

それぞれの方達の立ち位置によって、それぞれの資料を根拠として提示しながらも、同じ人物(ただしドラマではフィクションも多々入って描かれている事を踏まえた上で)がこのように異なって見えるのかという点が、私に取っては最も興味深い点である。大正から昭和にかけての政治史や社会運動を研究している人達から見れば、大政翼賛会などの活動に関連した部分の村岡花子の言動は、どのようにみても戦争協力に値するものであり、その影響は作品の中にさえ見られると結論づけるのに十分とみなされるようである。その一方で、同じように女性でありキリスト教者であると共に、研究や文学作品等に関わる立場の人達から見れば、花子の残した作品や生活の軌跡の中には、キリスト教者としてまた文学者として切に平和を願った、当時のキリスト教の信仰を持つ女性文学者達の心意気や志の高さがひしひしと感じられると言及される事が多い。中には戦時中の女性文学者や社会運動家、女性政治家の研究をしている方達の意見等もあり、拝読していて大変興味深かった。村岡花子の多面性と受け取る事も出来るかもしれないが、当時の社会の緊迫した状況や、そこで何とか生き残ろうとした人々の息吹が、良くも悪くも反映されていると解釈する事も可能かもしれない。

これについて原案の『アンのゆりかご』の中で、村岡花子の孫にあたる村岡恵理は、以下のような記述を残している。

「参政権獲得運動と宣教師との友情、そして、英米文学の翻訳の仕事は花子が戦前から大切にしていたものである。平和であれば問題なく共存していけたはずなのに、参政権獲得運動が国策と複雑に絡んだことも重なり、花子は自己の中に矛盾を孕みながら歩まざるを得なかった。守るべき家族もあった。…(中略)…銃後を守る女性たちの協力を呼びかけるために、もんぺ姿で連日のように大政翼賛会、大日本婦人会、国防婦人会、勤労奉仕の女学生などの会合や、講演に狩り出された。」(村岡恵理『アンのゆりかご』より)

また同じ箇所で村岡は、平和な時代にこうした状況をどう捉えるのかについては様々な視点があると考えるが、と前置きしながら、以下の田辺聖子の文章を続けて引用している。

…女性史研究家には往々にして、現代感覚で歴史を裁く考え方もあって、私としては当惑させられる。吉屋信子は従軍ルポを書いたから軍国主義者であるとするたぐいの短絡思考である。それは世の流れというものの烈しさを思い知らぬ人の、のんきな発想であろう。国の運命というものも業のようなもので、そこへなだれこまずにいられぬような時の流れ、というものもある。」(田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子』朝日新聞社より)  

 自ら軍国少女だったと述懐する田辺によるこの言葉は、後の彼女の反戦的な言説や執筆活動と合わせて検証する事が重要であろう。  

 私自身、自分の研究の文脈からはどうしてもナチスドイツと当時そこに生きた人々の戦争責任の問題を比較して考えてしまう為、基本的には戦争責任や戦争協力の問題には厳しい視点を持っているが、しかしながらというか、だからこそ、個々の非常に複雑化した事例について一律の分析を当てはめてはいけない事もよく理解している(例えば、ナチスに協力しながらユダヤ人従業員を助けた、映画『シンドラーのリスト』の主人公のモデルとなったオスカー・シンドラーの行動をどう捉えたらよいのかなど。英雄的行為と賞賛される反面、労働力を確保したかったが為の行動が映画では美化され過ぎているという批判もある)。その為、当時の女流文学者らの言説は、戦中の記事などの発言だけでなく、戦前戦後を含めたライフヒストリーを多角的に吟味し、また全作品も読んだ上で、重層的かつ慎重に評価されるべきだと考えずにはいられない。

(2、に続く)

PS. English version of this essay may follow later… hopefully.

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